Column

May 10, 2022

with中日ドラゴンズ①

当店のインスタグラムでは何度かお伝えしておりますが、有難いご縁のおかげで中日ドラゴンズ関連のオーダースーツを手掛けさせていただいております。

今回は御幸毛織の直営店である当店そして私が何故、中日ドラゴンズと接点があるのかについてお話ししたいと存じます。はじまりは昭和中期にさかのぼります。

今を去ること65年前、まだ民放テレビの黎明期だった1957年3月17日に第一回が放送されたテレビ番組「ミユキ野球教室」をご存知でしょうか。この番組は現在以上にプロ野球が人気を博していた時代に、【視聴率が低くてもかまわない、プロ野球の栄光のかげにある努力を伝えたい】という当時の弊社社長の熱い思いを、様々な人物の奇跡的な出会いと固い絆によって実現したものでした。スタート当初は「教室」と名付けられたように野球という競技の技術的な談義が多かったようですが、私が視聴し始めた昭和50年代では、鑑賞する対象であるプロ野球に関連するニュースを主に伝える番組でした。

「ミユキ野球教室」については御幸毛織の公式ツイッターなどでも詳しく触れていますのでご興味がある方は是非チェックしてください。なお、放送開始日の3月17日は「ミユキ野球教室の日」として一般社団法人 日本記念日協会様に認定いただいております。

さて私はというと、生まれは神戸市、育ちの一部は大阪府のため、阪神または当時の在阪パ・リーグ3チーム(阪急・南海・近鉄)のいずれかのファンになるのが順当なところですが、なぜか小さい頃から中日ドラゴンズが贔屓チームでした。父親を早くに亡くすなど自分と境遇の似た当時の大エース・星野仙一さんに憧れた、というもっともらしい理由もあったかも知れませんが、おそらくもっとシンプルに恐竜や怪獣が大好きだったので【竜がカッコ良い!】程度のきっかけだったかも知れません。

家庭の事情で近畿地方を離れたあと、大部分は四国・徳島県の田舎で育ちました。当時の地方では例外なく野球といえば巨人軍の時代です。テレビなども巨人のゲームしか放映しないため自然に巨人ファンが主流であったため、私は完全なマイノリティでした。変わり者として扱われていたわけですが、そんな自分にとってセパ全12チームの情報を偏りなく平等に扱ってくれる「ミユキ野球教室」はとても有難い存在だったのです。

毎週日曜日の朝はテレビに噛りついていました。楽しい時間でした。ただし問題はそこで流れる【社名を連呼するCM】でした。通称〈ミユキの歌〉は無垢で無防備な私の脳にしっかりと根を張りました。小学生の私は心に誓いました。自分は将来名古屋にある大学に通ってナゴヤ球場でドラゴンズを応援してこの会社に入社するぞ!と。これが悲劇の始まり?だったのでしょうか。

昭和の終わり頃の1988年、世の中はバブル景気に浮かれていた時期でしたが念願かなって某私大に無事入学し、憧れの名古屋の街に住まうことになりました。

その頃、似たようなタイミングで大阪から名古屋に来た、同い年で身長も同じ173cmの若者がいました。

彼の名前は、立浪和義。(続く)

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